Suomiな気分で!

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リンナンマキ遊園地の70周年を迎えるジェットコースター

今回はヘルシンキの人々に長く愛されているリンナンマキ遊園地( Linnanmäen Huvipuisto)の記事を読んでみます。


私は何度かフィンランドを旅行したことがあり、リンナンマキ遊園地の前を何度か通ったことはあります。ところが、ごく普通の遊園地と思ったためか中に入ったことはありません。ですから写真もありません。


しかし、あるとき何かでこの遊園地にある「木でできたジェットコースター」のことを知りました。しかも、それのブレーキは人力によるものだというのです。


このことを知ってから、そのジェットコースターに興味を持ち、ぜひ一度見てみたい、いや乗ってみたいと思っているのですが、いまだに叶えられていません。


この木のジェットコースターに関する記事が13日付けのHSのサイトにアップされました。短い記事ですので読んでみます。


まず、見出しです。
Linnanmäen klassikko­laite täyttää tänään 70 vuotta – Jarrumestarilta vaadittiin aikanaan hävittäjä­lentäjän koulutus
リンナンマキ遊園地の古典的なアトラクションが今日(13日)70周年を迎える―以前はブレーキ技術者になるには戦闘機の操縦士の学校が必要だった。
※"jarrumestari"、「技術者」というより「エキスパート」「熟練技能者」という意味なのですが、これは後で出てくる"jarrumies(ブレーキマン)"がジェンダーフリーにより言い換えられたものです。肩書きや職名にあたるので「技術者」としておきます。


続いて記事本文を読んでみます。


LINNANMÄEN legendaarinen Vuoristorata täyttää tänään 70 vuotta. Monelle tuttu puuvuoristorata on avajaisistaan lähtien ollut huvipuisto­kävijöiden suosikki.
リンナンマキ遊園地の伝説となっているジェットコースターが今日70周年を迎える。多くの人によく知られている木のジェットコースターはオープニングからずっとその遊園地の来場者の人気のアトラクションとなっている。


Vuoristoradan vuosipäivää juhlitaan tiistaina Linnanmäellä 1950-luvun hengessä, sillä laite avattiin ensimmäistä kertaa 13. heinäkuuta vuonna 1951. Vuoristorata maksoi aikanaan 48 miljoonaa markkaa, joka on nykyrahassa noin 1,5 miljoonaa euroa.
そのジェットコースターの記念日は木曜日にリンナンマキ遊園地で1950年代の雰囲気のなかでお祝いされた。というのは、そのアトラクションが初めてオープンしたのは1951年の7月13日だったからだ。その当時、ジェットコースター(の建設)には4800万マルッカ、現在のお金でおよそ150万ユーロ要した。


Vuoristorata on saanut myös kansainvälistä tunnustusta, sillä yhdysvaltalainen vuoristoratajärjestö ACE, eli American Coaster Enthusiasts, on julistanut sen klassikkoradaksi. Linnanmäen tiedotteen mukaan vain muutama kymmenen laitetta maailmassa on saavuttanut saman arvonimen
このジェットコースターは国際的にも認められている。アメリカのジェットコースターの団体であるACE(American Coaster Enthusiasts、米国コースター愛好会)はそれをクラシックコースターと公表したからだ。リンナンマキ遊園地の広報によれば、世界のたった10あまりのアトラクションだけが同じ評価を受けている。


RAKENNUSVAIHEESSA Vuoristoradan esikuvana oli Kööpenhaminan Tivolin vuoristorata. Laitteen valmistuttua sitä pidettiin niin hurjana, että jarrumestareilta vaadittiin hävittäjä­lentäjän koulutus.
建設段階では、このジェットコースターのモデルはコペンハーゲンのチボリのジェットコースターだった。そのアトラクションが完成すると、それはとても制御が難しいと思われたので、ブレーキ技術者になるには戦闘機の操縦士の学校が必要だった。


Jarrumestarit ovat edelleen tärkeä osa vuoristorata­kokemusta, vaikka hävittäjä­lentäjän koulutusta ei enää vaaditakaan. Jarrumestarit ovat nykyään harvinaisia maailman mittakaavassa, sillä suurimmassa osassa vuoristoradoista on automaattijarrut.
ブレーキ技術者たちは、戦闘機の操縦士の訓練が必要でなくなったとしても、今でもジェットコースターの経験上、重要なパートとなっている。現在では、ブレーキ技術者は世界的規模で稀少になっている。ほとんど全部のジェットコースターは自動ブレーキとなっているからだ。


Linnanmäen tiedotteen mukaan jarrumestareina on ollut myös naisia vuodesta 1999 lähtien. Tänä vuonna jarrumiehen työnimike muutettiin jarrumestariksi.
リンナンマキ遊園地の広報によれば、1999年からは女性もブレーキ技術者になれる。今年、ブレーキマンという肩書きがブレーキ技術者と変更された。


Alun perin Vuoristoradan arvioitiin kestävän vain 15 vuotta. Toisin kuitenkin kävi, sillä ahkeran huoltamisen ansiosta laite on käytössä vielä 70 vuoden jälkeenkin.
最初、このジェットコースターは15年だけ耐えられる(耐用年数はわずか15年)と見積もられた。しかしながら、きちんとした整備のおかげで、そのアトラクションは70年後もまだ使用できる。


Lue lisää: 84-vuotias Linnanmäki-fani ihastuttaa – näin upea vuoristoratakuva otettiin
これも読んでください:84歳のリンナンマキ遊園地ファンが楽しんでいる―こんなすばらしいジェットコースターの写真が撮影された。


記事は以上です。


"Lue lisää"にあった記事も面白そうなので読んで見ようと思い、検索しました。2015年8月3日付けのこの記事はライセンス購入者のみアクセス可だったので最初の部分しか読むことができませんでした。


Helsingin Sanomat kertoi sunnuntaina Martti Laaksosesta, yhdestä Linnanmäen pitkäaikaisimmista faneista. Rollaattorilla liikkuva 84-vuotias Laaksonen on käynyt huvipuistossa useita kertoja kesässä siitä asti, kun puisto avattiin vuonna 1950.
日曜日にヘルシンキサノマットは、最も長きにわたるリンナンマキ遊園地のファンのひとりであるマルッティ・ラークソネンさんについて述べた。歩行器で移動する84歳のラークソネンさんは、この遊園地が1950年に開園してから、夏にはもう何度も訪れている。


読めるのはここまで。ジェットコースターに乗ったラークソネンさんの写真が添えてありました。


リンナンマキ遊園地、子どもはもちろん、84歳になっても楽しむことができる。入場は無料で、子どもが無料で乗れる乗り物がいくつもあるそうです。ほんとうにすごい遊園地です。

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